やめるときは、惜しまれる存在でありたい。

同じ職場の先輩が、今日の出勤を最後に退職してしまう。入れ替わりの激しい看護師という職業でありながら、このクリニックで15年勤めあげた先輩。その姿を見ながら、私ももしもやめるときは、必要とされ、惜しまれる存在でありたいと強く思った。

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やめても影響のない自分

今まで、病気のせいで仕事がうまく続けられずに転職を繰り返していたとき、やめるのに惜しいと思われたことはほとんどなかった。勤務できない状態になることもあったし、たいていは迷惑をかけてやめてきたので、雇う側・一緒に働く側としてもやめてくれた方がありがたい、くらいにしか思っていなかったんじゃないかと思う。

そんな自分が悔しくもあり、力になれない自分が嫌いでもあった。働く者として必要とされていないのが感覚でわかる。その状況は自分自身のせいであるとは言え、悲しくて仕方がなかった。

 

 

 

やめていく先輩の姿

私の勤めているのは、透析クリニック。透析とは、機能しなくなった腎臓の代わりに機械を使って、からだのなかの不要物や水分を取り除く治療。一度腎不全となったら、腎移植をしない限り、ずっとその治療を続けなくてはならない。

なので、透析を行う患者さんは、定期的にクリニックに通院するので、看護師をはじめとするスタッフと顔なじみになる。長く勤めていれば、それだけ顔を合わせる時間も長くなるので、関係が強くなってくるのだ。それだけに、10年以上も務めたスタッフがやめていくのは、患者さんにとっても衝撃的なのだ。

患者さんと顔を合わせるのが最後になるというとき、私のクリニックでは1人1人に挨拶をするのが慣例になっている。今日やめていく先輩も、昨日から1人ずつ挨拶をしていた。あちこちから聞こえる、驚きの声。あたたかい顔で別れの言葉を口にしていたけれど、患者さんはすごくさびしいんじゃないかな、と思う。

 

 

私たちスタッフも、そんな先輩がやめていくのはかなりショックだ。頼れる存在だったし、一緒に働くのが好きだったから。やめていく理由も、なんとなく理解してはいるけれど。大きな存在感を持っていた人がいなくなった後の職場がどうなるのか。まだ想像がつかないけど、残った人間としてやっていくしかない。

 

 

 

 

やめるなら、力をつけてから

そんな、みんなに惜しまれながらやめていく先輩の姿。淋しさを感じつつも、私もやめるなら、そんな風に周りに思われるくらいになってからやめたいと思う(まだそんな予定はないけれど)。

今までちゃんと働けていたことが少ないからこそ、ちゃんと仕事をこなす能力を高めて、まわりの信頼をもっと得られるようになってからでないと、ここを離れてはいけないと思う。もっと学ぶべきことがあるはずだから。今できることを精一杯やって、その上でもっと違う何かがしたいと思うようになったら、それが私のやめ時だと思う。そこまで突き詰めることができたなら、先輩の姿には追い付かなくとも、「もう少しいてほしかったな」くらいに思ってもらえるようにはなるかな、と思っている。

 

 

 

 

まとめ

仕事をやめる、というのは大きな決断だ。だからこそ、後ろ向きにやめるのではなくて、前向きにやめることができるような自分になりたいと思う。そして可能ならば、職場の人たちにも背中を押してもらえるような関係性を作っていきたい。

ここで働いたことが無駄にならないよう、私が働くことでいいサイクルが生まれるよう、そんな仕事を残していけたらと思っている。

 

 

 

 

 

想い事

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この記事を書いた人

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当ブログの管理人:小松亜矢子です。

フリーライター/元ナース/元うつ病患者。福岡県出身、横須賀市在住。

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