自分を応援してくれている人からの「がんばれ」の言葉は、前へ進もうとする自分を後押ししてくれるステキな言葉だ。その言葉に励まされたことも多い。
しかし、時にその言葉は心をえぐる、残酷な言葉になってしまう。
もうこれ以上がんばれないときもある
精一杯、フルスロットルでがんばり続けているとき。立ち止りそうになりながらもなんとか進み続けているとき。そんなときに欲しい言葉は、「がんばれ」ではなく「がんばってるね」の承認の言葉だったりする。
あとちょっとで限界超えそうなくらいにがんばっているときに「がんばれ」を聞くと、「もう十分がんばってるつもりなんだけど、まだ足りないのかな…」と自己肯定感が低くなってしまう。これじゃダメなのか、そう思ってもっとがんばろうとして疲れてしまうことだってある。
そうではなく、「がんばってるね」の言葉は、今の状況を認めてあげる言葉。私はあなたががんばっているのを知っているよ、というメッセージ。そのままでいいよ、という思いも感じることが出来る。
それは大人だけの話ではなく、きっと子供たちにも言えることではないか。テストでいい点数を取ったとき、作品が褒められたとき。「もっとがんばれ」よりも、「よくがんばったね」の方がうれしいのではないかと思う。
それまでのがんばりを認めてあげる言葉をかけるほうが、その人にとって良い場合もあるのである。
うつの人に「がんばれ」は禁句?
うつ病の人と接するとき、「がんばれ」という言葉は使ってはいけないと聞いたことがある人も多いのではないだろうか。
確かに、「がんばれ」の言葉はキツイ。病気を発症する前に相当がんばってきたし、疲れきっているときにがんばれと言われても、何も出来ないから。「もう今まで十分がんばったよ!!」と、心の中で叫びそうになる。もうなにもしたくない、がんばりたくない、というのが本音である。
けれど、症状が少しずつ良くなって、復職を考えられるくらいになったとき。「さあ、がんばれ!!」と松岡修造氏なみの情熱で言われるとかなり苦しいけれども、「休んだ分、少しずつがんばってみようか?」くらいの感じで声をかけてもらうのは、力になったりする。
これからまたがんばって生きて行かなくちゃいけない。でも、長く離れてしまった分、こわい思いもある。そんなときに近くにいる人から、「もうそろそろ、がんばれると思うよ」「ちょっとずつやってみよう」そう言われるのは、1歩を踏み出す後押しになってくれるのだ。
がんばりすぎない。でも、できることから少しずつがんばってみる。その微妙な力加減が難しいところなのである。
まとめ
「がんばれ」がうまく作用するかは、その人の状況次第だと思う。ときには後押ししてくれるプラスに働き、ときには逆にやる気を削ぐマイナスに働いてしまう、難しい言葉。
できるだけ、その人の状況に合わせて、この言葉を使えたらと思っている。
今日のおまけ
ソファで私と夫の間に寝転がってくつろいでいるマリン。散歩用のハーネスを新しく買ってあげました。うん、お似合いだね♪